「恐れ」ベースはもう止めていこ。
子供の頃からそれを必死に隠しながらもちょっと不思議ちゃんだった私は、
テレビを観ても、テレビで報道されている事と違うエネルギーを受け取って
言葉にはできない違和感を感じる子だった。
説明しろと言われても、説明できないもどかしさ。
だけど「なんか変だよ」という事しか言えないので、その先にいけない。
大体の場合、質問攻めに合うのだけど、違うんだ!違うんだよ!という
感覚ばかりで、言葉が追い付かない。説明できない。
今だって、説明するのに苦労するけどさ。。。
何度もブログには同じ様な内容で書いていますが、もう一度。
「情報」にあまり左右されないで。と、いう事。
特に「恐れ」をベースにしているものにはあまり踊らされないで。
もしも、なにか「問題」をどうにかしたいと願うのであれば、
解決した観点から動かしていかないといけないの。
問題や恐怖の中でそれを必死に唱えても、問題である周波数、
恐怖に居る周波数をひたすら響かせているだけで、拡大の手助けをしている。
だから、恐怖がベースのニュースはニュートラルに見る目が大切。
解決した境地から見た高い視点は、どうすれば良いかが沢山詰まってる。
そしてどうすれば良いかのインスピレーションはさっと行動に移す事ができる。
でも恐怖がベースの問題をひたすら唱えているだけになると、
恐怖の沼にハマって、動けなくなる。
どうすれば良いかを一生懸命考えても、沼にハマっている以上はいつかは力が尽きて、
戦う気も失せるんだ。 それも「恐怖」の戦略だよ。
ずっとずっと、自分に意識を向けて、本当の自分の場所に、自分軸でって
「自分」「自分」言っているのはこうゆう事なの。
何を聞いても、何が起こっても、まず自分の中の感覚を客観的に見える様にするって意味なの。

本当の自分はどう感じているか、自分の身体はどう反応しているか?
まずはそこだよ。ベースは自分に置こう。